良寛残照
Mt.蔵王
数年前から仲間と詩吟を織り込んだ朗読劇を上演して楽しんでいる。文学部出身もいるが、脚本は物理が専門の私が担当している。これまでは恋愛劇が主だったが、今年は老いと愛をテーマにした。演題は、良寛はこの世を去った後も世の中を照らしている、という意味である。二水関西の皆さま、お気軽にコメントをお寄せ下さい。
良寛の愛したもの、それは魂の自由、清貧、風流、詩歌、夜と孤独、人間、子供たち、そして尼の貞心。ここではそのうち、清貧、子供たち、夜と孤独、貞心尼についてお話ししましょう。
序幕 清貧に生きる
20年に及ぶ諸国行脚を終え、越後に帰った38歳の良寛はその後さらに20年、五合庵という質素な藁ぶき小屋で、托鉢と近隣の人々の心付けによって暮らしていました。ある時、長岡藩の殿様が庵にやって来ました。荒れた庵をつぶさに眺め、言いました。
「良寛殿、寺を建てるので住職になってくれませんか」
「大変ありがたいお話ですが、愚僧にはこの庵が似合いです」
「さすが良寛殿、失礼な申し出お許し下され」
良寛は殿様に歌を献上しました。
たくほどは風がもてくる落葉かな
風がもてくる落葉かな
第二幕 無心、ここにあり
子供たちと遊んでいる良寛は本ものの子供でした。良寛がいると楽しいので、子供たちは歌を歌いながら「良寛さん、手毬つきしましょ」と呼びに来ました。
♪ てんてんてんまり てん手まり
♪ つきてみよ ひふみ
♪ よいむなや ここのとを
♪ 十とをさめて またまた始まるよ
良寛は子供たちに言いました。
「今日はかくれんぼをしたいな」
子供たちも大賛成。やがて日が暮れ、子供たちは家に帰りました。しかしかくれんぼに夢中だった良寛はそれに気づきません。翌朝、村人が稲藁に隠れている良寛を見つけ「何をしているんですか」と訊くと、良寛は真顔で答えたのです。
「しっ、しずかに。子供たちに見つかるではありませんか」
良寛は自分が厳しい仏道修行を経て到達した「無心」の境地は、子供たちの心そのものだと気づいていました。
花は無心にして蝶を招く 蝶は無心にして花を尋ぬ
花開く時蝶来り 蝶来る時花開く
花は子供たち、蝶は良寛でしょうか。
第三幕 夜と孤独
現代に生きる私達は暗がりが苦手です。しかし、良寛ほど夜のしじまを愛した詩人はいません。夜は孤独感をつのらせ、孤独は自分だけの世界に遊ぶ喜びでありました。
清夜寝ぬる能はず 反側してこの詩を歌ふ
夢さめていねられず 杖とりて表に出でぬ
虫のねいしだたみにあふれ 落葉して樹の間濶し
渓川の水の音遠く 山間に月は未だし
ものおもい時うつりて わが衣露にしめりぬ
よもすがら寝ざめて聞けば 雁がねの
天つ雲居を 啼きわるかな
天つ雲居を 啼きわるかな
第四幕 蓮の花
良寛は70歳のとき尼の貞心と交流を持つようになりました。貞心尼は良寛より40歳年下の30歳でした。貞心尼は良寛の書に魅せられ入門を申し出ました。初対面で良寛は、蓮(はちす)の花のように清らかなお人だ、と思いました。良寛は手鞠を取り出し言いました。
「これから入門のテストを行ないます。手鞠をついてみなさい」
貞心尼は「はい」と答え良寛の歌声「♪ひふみよいむな」に合わせて鞠をつき始めました。やがて良寛は立ち上がり、はねる鞠に合わせて踊りながら「貞心どの、テストは合格じゃよ」と告げました。貞心尼は良寛の自由でおおらかさに人柄に圧倒されました。
ある夏の日、貞心尼は良寛の庵を訪ねましたが、どうやら留守のようです。庵の中に入ってみると小さな瓶(かめ)に、一輪の蓮の花が生けてありました。それを見て貞心尼は歌を詠みます。
来てみれば人こそ見えね庵守りて匂ふ蓮の花の貴さ
(訪ねて来ましたがあなたはお留守。一輪の蓮の花が香りを放ちながら留守番をしていましたわ)
ほどなくして戻って来た良寛は、この歌に返しました。
み饗(あえ)するものこそなけれ小甕なる蓮の花を見つつしのばせ
(おもてなしするものは何もありませんが、せめてこの甕に生けた蓮の花で我慢してください)
この返し歌は、貞心尼の胸を揺さぶりました。それは良寛に対する「敬愛」の念が「恋心」に変わった瞬間でした。貞心尼は良寛没後、二人の贈答歌をすべて『蓮の露』という歌集にまとめましたが、もちろん「蓮」はこの時の贈答歌の「蓮」であります。良寛との心に沁みる交流を二人だけのものにしておきたいという女心からでしょうか、貞心尼はこの歌集を出版しませんでした。歌集の存在は明治まで生きた貞心尼の没後分かりました。二人の恋は蓮の花のようなプラトニックラブでした。
終幕 良寛の老い
人は老いると躰が痛み、心の余裕がなくなります。良寛にとっても老いはわびしく、寂しいものでした。しかし良寛は、老いによって感覚がとぎすまされ、これまで見えなかったものが見えて来ることを発見して、喜びを感じています。ある夜良寛がつぶやきました。
『老いの身は眠れません。寝床から見ると天井の四隅の壁が暗くて夜も深い。行灯に明かりがなく、囲炉裏に炭もなく、掻巻の襟のあたりに寒さが積もります。どうしたらこの寂しさをやり過ごせましょうか。しかたなく真っ黒な藤蔓の杖を引きずって庭に出てみました。満天の星があふれ、枯れ木に花が咲いたようです。遠く谷川では水が流れ落ち、水音は琴を奏でているようです。この夜初めてこのような静謐な喜びを味わいました。いつの日か、誰かにこの喜びを話したいものです』
良寛は73歳を過ぎたころから体調を崩すことが多くなりました。旅先で臥せり友人宅で世話になったり、いとしい貞心尼のところへ訪問する約束をしても、それも難しくなって来ました。死を前にして、逢いたくても逢えない貞心尼への切ない想いを、良寛は歌に詠んでいます。
秋萩の花のさかりも過ぎにけり 契りしこともまだ遂げなくに
(萩の花もさかりを過ぎてしまいました。あなたを訪ねるという約束も果たしていないのに)
12月25日、危篤の知らせを受け駆けつけた貞心尼と弟の由之(ゆうし)を前にして、良寛は弟には詩を送り、貞心尼とは歌を詠み交わしました。死の前日1月5日には親しい人々に宛てて最期の歌を詠みました。
形見とて何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉
(今生の別れを前にして、差し上げる形見は何もありません。春の花、夏のほととぎす、秋の紅葉を私の形見と思って下さい)
1月6日、良寛は坐したまま、心で愛し合った貞心尼の合掌のもと息を引き取りました。
貞心尼は良寛の穢れのない心にひかれました。それは、貞心尼自身が清らかな心の持ち主だったからです。3年あまりとはいえ、同じ心の貞心尼と愛し合うことができた良寛は幸せな人でした。
(参考) 中野東禅:良寛詩歌集、NHK(2015)。
現代社会に流されて生きてる私
蔵王さんの投稿読ませて頂き
心 動きました
中々できませんが
思えたことは 嬉しいですね
京子さんコメントありがとうございます。2月に脊柱管狭窄症という病気で40日入院しました。手術した夜は痛くてこれで一巻の終わりかと苦しみましたが、現金なもので、痛みが取れると退屈になり、二水関西に投稿した「良寛残照」を書き上げたり、専門の「希薄磁化プラズマの解析」に取りかかったりしていました。
誰しも日常の雑事に振り回されて日々を過ごしていますが、ふと立ち止まると、自分が大河の急流に浮かぶ笹舟のように命の果てに向かって流されていると気づきます。良寛とて私達と同じ人間です。命の限りを自覚した晩年、良寛は何を考えて日々を過ごしていたか?悟りの境地「無心」とはなにか?貞心尼との愛の形は?そんな事を病床で考えながら過ごしていました。ひま人とお思いでしょう。ところで、ライラックさん、いかがお過ごしですか?
Mt.蔵王さま
40日ものご入院ではどんなにか大変だったことでしょう。
病名の脊柱管狭窄症は最近時折り耳にして馴染んでおりますが、そんなにも痛かったのですか?
よくぞ耐えてご退院にこぎつけられましたね。良かった事です。
その上、命の果てについて考えられた事で『良寛残照』を書かれたとは!
なんというエネルギー!信じられません。その事の方が私には同じ人間に思えません。
と言いますのも私は6月に自転車で転倒。左胸を強打しました。
幸い骨折には至らずお医者さんが言われたように1ヶ月余りでほぼ治りました。
でも簡単に転倒になった事で妹からも「お姉さんって最近自転車の転倒多いみたいね」
と言われ改めてこの数年は転倒が多くなったことを自覚。
それでようやく年齢を再認識かつ意識し少なからず落ち込んでおりました。
「あ~あ」と溜息多かった自分自身を振り返ると人種が違う気がしましたがお声かけを頂いて
正直しっかり励まされております。とにもかくにもありがとうございました。
ライラックさん、コメントありがとうございます。いつもコメントを下さる貴女からひと言いただきたくて、催促のような形になり申し訳ありません。実は、二水関西は投稿するといつもコメントをいただけるので、それが楽しみで投稿意欲が湧いています。文章を書くのは好きですが読者が自分だけでは寂しいでしょう。
晩年の良寛は病気の痛みや苦しみをあるがままのものとして受け入れ、それを今を精一杯大切に生きる強さに繋げていた、と言います。そんな「悟り」からほど遠い私ですが、良寛の没年になった今、良寛から学ぶべきことが多々あるように思われてなりません。このごろ気を付けていることの一つに「心の持ち方」があります。「自己暗示」と言ってもいいでしょう。positiveな自分の姿を思い描いてoptimisticに過ごしたいものです。
二水健児さん、「上げ潮の中で」に引き続きコメントをいただきありがとうございます。コメントに全く同感です。今ほど「魂の自由が知らず知らずに侵されて行く」時代はないかもしれませんね。良寛は自分の生き方を当時の人々にさらし、幸せとは何かを考えてほしかったのでしょうが、それは今を生きる私達に対するメッセージにもなっています。
私自身は、子供のころ、村全体を舞台としたかくれんぼを楽しみました。大木の上や屋根裏の納屋に隠れ、鬼が見つけてくれないので鳥の声を出したりしたものです。日が暮れると鬼が勝手に帰宅するので、まじめな仲間は取り残されました。
「花開く時蝶来り 蝶来る時花開く」の漢詩は「知らずとも帝則に従う」で締めくくられます。「ただ自然の道理に従っているだけだ」という意味ですから、貴方の解釈は的を得ています。分子間引力の例えはおもしろいですね。私は誘導双極子相互作用で引き合う2つの分子を連想しました。弱い引力は相手を引きつけますが、決して相手を拘束してしまう(地球を周回する月のように地球の強い引力で拘束される)ことはありません。良寛は自己と他者の関係も相手を知ろうとし過ぎないのが自然でいい、と言っています。
貞心尼と良寛の交流を見ていますと、幸せとは、愛する人が生きていること、そしてどちらかが息を引き取るときその人の枕もとに居ること、と思われます。
心温まる物語ですね。魂の自由は清貧の中にある。それ以上の幸せはないのでしょう。しかし、お金や文明の利器に惑わされた現代人には余りにも現実離れしていて、魂は物欲に支配されたままです。一日もスマホを離せない私たちは、何か人生で最も大切なものを忘れてしまったようです。十を数えながら手まりをついた少女たちはどこへ行ったのでしょう。今時、隠れんぼをする子供達を見かけることはありません。けんけんぱも遠い記憶。「花開く時蝶来り 蝶来る時花開く」は2つの事象には因果関係がないのに相関して起こる自然の摂理を語っているように思われます。唐突かも知れないが、それは、物理でいう、分子間のファンデアワールス引力のようです。自然を無心な気持ちで見る良寛和尚の悟りでしょう。貞心尼との恋愛は切なくも美しいですね。真の幸せとは何か?という問にはっと気付かせていただきました。