北上川をわたる風  Mt.蔵王

北上川をわたる風

Mt.蔵王

 

北上川下流には広大な葦原がある。葦の丈は人の背丈の2倍もある。風がわたると葦原がさやぐ。その音は聴く人によって変わる。孤独な人はますます寂しくなり、心が沈む。喜びを胸に秘めた人は、極上の安らぎを覚える。晩秋の葦原をわたる無常の風は「日本の音百選」に選ばれている。

魚釣りが好きな私はこれまで何十回北上川を訪ねたことか。葦原の美しい風景は私を日頃の雑念から解放し、私の心は宙に舞う。お気に入りのポイントは新北上大橋付近の葦原である。2011年3月11日の大震災では、新北上大橋のたもとにある大川小学校の生徒74名と先生10名が、河口からさかのぼって来た津波に呑まれ命を落とした。破壊された校舎の前には地蔵菩薩が祀られ今も線香の煙が絶えない。

大震災から3年4ヶ月が過ぎたある日、久しぶりに北上川に出かけてみた。美しかった葦原の無惨な姿に胸が痛んだ。南側の堤防は大津波に破壊され、あとかたもなく消えていた。北側の堤防の足元には頑丈な鉄板が打ち込まれ、高い鉄の壁が延々と続いていた。以前の美しい風景は大量の武骨な人工物に置き換わっていた。

しかし新北上大橋の少し上流の一画に、小さな葦原の緑が拡がっていた。葦の丈はまだ大人の腰までしかない。私は堤防を下りて、葦の間を歩いた。しばらく行くと、合歓の木が一本、花をつけていた。さらに進み川の流れに向かった。

岸辺には、こちらに背を向け女がひとり立っていた。女は流れを見つめ漢詩を吟じていた。私は歩みを止め、葦の間に立って聴き入った。杜甫の「岳陽楼に登る」だった。女は、私に気づかず朗々と吟じ続けた。  「親朋一字無く 老病孤舟有り」 (親戚、朋友から一通の便りもない。老いて病がちの我が身は、この大河に打ち捨てられた小舟のような存在か)

この一節が終わると女がむせび泣いた。はるか唐の時代の一片の詩が、時を隔てて、女の身の上に重なっているようだ。どうにか最後まで吟じ終えると、女は思いつめたように川の流れに目を落とした。私は近づいて声をかけた。「心に沁みる吟でした。失礼ながら聴かせていただきました」女は驚いて振り返った。「お恥ずかしいです」と言いながら私を見つめた。強い視線だった。歳は六十くらいか。凛と張った涼しい目もとが美しい。そして聞き返した。「あなたも詩吟をなさるんですね?」「始めてまだ5年ですが、杜甫の詩は特に好きです」女は続けた。 「そうですか、それは嬉しいですね。ここでお会いしたのも何かのご縁ですね。あつかましいですが、連吟をしませんか」

二人の吟者が交互に一連ずつ漢詩を吟ずるのを連吟という。吟調から見て女が師範クラスだと知った私は少しとまどったが、引き受けた。

昔聞く洞庭の水 今上る岳陽楼

呉楚東南にさけ 乾坤日夜浮かぶ

親朋一字無く  老病孤舟有り

戎馬関山の北  軒に憑りて涕泗流る

二つの声は美しく響きあい北上川に漂った。終わった時、互いに親しみを感じたのは自然なことだった。私が名を名のると、女も三原悠子と名のり話し始めた。

――詩吟は主人と一緒に習っていてもう20年になります。よく二人で連吟をしたものです。でもあの大津波で主人は流され、今も行方知れずのままなのです。今はもうあきらめましたが、優しかったあの人を想うと、愛する人が亡くなったというのに自分が生きている、そこに何の意味があるんだろうか、と自問する毎日です。こうして葦原に一人で来ても、ただ寂しさがつのるばかりです。でも今日、はからずもあなたと連吟ができて大変嬉しく思います。きっと悲しんでばかりいる私を憐れんで、あの世の主人があなたをここに寄こしてくれた、そんな気がするのです。

住んでいた長面の町は津波の後、海の中に沈んでしまいました。今はすぐ近くの「にっこりサンパーク」という高台の仮設住宅に一人で住んでおります。もしお急ぎでなければ、お寄りになりませんか。お茶を差し上げたいのですが。

私は三原悠子の親切をありがたく受け入れ、仮設住宅を訪ねた。ダンボール箱を色紙でおおった形ばかりの仏壇に向かいご主人の遺影に手を合わせると、お茶をいただいた。香りのよいお茶だった。

「少しお待ちください」

この言葉を残し悠子は姿を消した。しばらくして着物姿で現れた。淡い花模様の明るい着物だった。悠子が座ると、狭い部屋は灯りをともしたようになった。「仮設暮らしでは時おり気持ちが沈みます。そんな時には着物を着て過ごしますの」と言い、少女のようにはにかんだ。

私達は震災の話には触れず、漢詩や和歌の話をして過ごした。しばらくすると、悠子が王維の「鹿柴」を吟じ始めた。

空山人を見ず 但人語の響きを聞く

(山の住いでは人の姿は見かけない。ただ、気のせいか時おり人声がする)

「人語の響きを聞く」という句は人恋しいという願望であろう。吟には、孤独に耐えて来た悠子の心情がにじみ出ていた。私は愛おしさをおぼえた。

「あなたも一つお聴かせ下さい」と悠子が言った。私は李白の「子夜呉歌」を、声を抑えて吟じた。

長安一片の月      万戸衣を打つの声

秋風吹いて尽きず    総べて是れ玉関の情

何れの日か胡虜を平らげ 良人遠征を罷めん

李白は、戦地に赴いたまま、音信のない夫の帰りをひたすら待ち続ける女の哀しみを詠んだ。吟じたのち私はこの選曲を悔いた。悠子は涙をぬぐい、つぶやくように第2連を低く吟じた。そして「ありがとうございます。夫が好きだった曲をなぜあなたが御存じなのか、不思議です。実は葦原でお会いしたとき大変驚きました。失礼ながらあなたが夫の面影を色濃く宿しておられたからです」と言った。悠子は茶葉を入れ換えに席を立ったが、その間私は、初対面の二人がなぜ旧知の間柄のように和やかな時を共有しているのかと、思い巡らしていた。

今度は和歌を吟ずることになった。私は西行を選んだ。

津の国の 難波の春は 夢なれや

葦の枯葉に 風わたるなり

祐子は目を閉じ吟に浸った。その姿は風の音に耳を傾けているように思えた。最後に、悠子は、つぶやくように和歌を一首吟じた。それは額田王の恋歌だった。

君待つと 我が恋ひ居れば 我がやどの

簾動かし 秋の風吹く

哀しく美しい響きだった。私は胸を打たれた。それは、悠子が心の中で、帰って来るはずのない夫をいまも待ち続けている、と直感したからである。

帰り際に悠子が礼を言った。「こんなに楽しく過ごしたのは本当に久しぶりです。ありがとうございました。北上川においでの折には、きっとお立ち寄り下さい」

私は「どうぞお元気で」と言って玄関を出た。雨が当たって来た。悠子は大きな傘を一本拡げた。私達はその傘に身を寄せ、車を止めた空き地まで並んで歩いた。

私は、「さようなら」と言って車を発進させた。バックミラーに写った悠子の姿は、雨に打たれている合歓の花のように、ほの暗い空間に明るく浮かび上がっていた。車が走り出すと、ミラーに写った立ち姿は次第に小さくなったが、悠子はずっと手を振っていた。

悠子の姿が消えると、前方に、雨にけぶる北上川が現われた。北上川は水みなぎり、圧倒的な力に満ちていた。車は、工事中の堤防の水たまりにハンドルを取られるたびに、大きく傾いた。車に揺られながら私は、悠子と過ごした親愛の情に満ちたひと時を思い返していた。そして、葦原が美しい姿を取り戻す晩秋には再会し、二人で葦をわたる風の音に聞き入りたいと思った。

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